こんにちは友幸(@humberttomoyuki)です。
お歳暮とかでもらったりするので、実家にはたくさんのタオルがある。
それこそ無尽蔵にあるのではないか、と勘繰ってしまうくらいのタオルがある。
わたしの知らない間に新しいタオルに入れ替わっているはずなのだが、新陳代謝を繰り返す生き物のように、その数は一定で何ら変化がないように思える。
今に思えば、母親がある一定の数を保つように管理していただけなのであるが、実家にはタオルは無尽蔵にあるように感じられたものである。
一転して実家をでて一人暮らしを開始すると、タオルの扱いに困ってしまう。
実家では無尽蔵であると感じられたタオルも有限であり、自分の身銭を切って購入しなければならない現実と向き合うことになるからだ。
そうなると、できるだけ捨てたくない。
しかし、捨てないと次第にタオルの方も俗世間の波にもまれてやさぐれてくる。
これはいったいどうしたものか。
タオルの捨て時と替え時
タオルを捨てるタイミングは実に難しい。
カサカサににやさぐれてしまったタオルたちは、自分がカサカサな分吸水性は増しており、水をよく吸ってくれるようになる。
タオルの目的は水分を吸収し、発散することにあるため、この状態はベストといえる。
しかし、いかんせんカサカサである。
タオルで顔をこすると痛い。
パイル時はほとんどがある程度のかたまりになっているので、顔へのあたりが強い。
しかしだからといって、使えないわけでもない。
そのカサカサ具合は貫録を感じさせ、頼もしささえ感じるようになる。
柔軟剤を使用するというてもあるが、基本的に柔軟剤を使用すると、吸水性が落ちる。
タオルを購入したら、一度洗ってから使った方がいいといわれるのはそのためだ。
程よくくたびれたタオルこそが、タオルとしての本分を全うできるということになっている。
しかし、カサカサのタオルは見栄えがよろしくない。
友人が泊りに来てタオルを渡す時などは、できるだけ新しいタオルを渡すといったことはないだろうか。
これは他人への思いやりといってもいいが、単なる見栄の場合のほうが多い。
見栄えが悪いものを持っている自分を見つめてしまうと、理想としているセルフイメージとのギャップに悩んでしまい、唸ってしまうのでできるだけきれいなタオルを所有し続けたいものである。
捨てるタイミングはいつがいいのだろうか。
タオルの捨て時を時期で区切る
タオルを買い替えるタイミングを機械的に区切る。
使用頻度によって変わってくるだろうが、半年ぐらいが適切だろうか。
6月と12月にまとめて持っているタオルを捨てて、新しく買い替える。
セールの時期と重ねた方がお財布には優しいだろう。
一気にタオルが減るのは困りものなので、現実的にはいくつかのグループ分けを行い、グループごとに半年ごとに捨てるという方法がいいかもしれない。
12個のタオルを毎月1枚ずつ買い替えるという方法もある。
この場合、最低限の数のタオルでまわして、ストックは考えない。
ストックがあると、使用頻度にばらつきが出るのでよくわからなくなってくる。
また、経験的に、新しいタオルよりも、古いタオルを使おうとするバイアスが働く気がする。
ストックのタオルはいつまでも使われないことになる可能性が高い。
タオルの捨て時を見た目で決める
一番直感的に決めることができるのが、この捨て時である。
ようは見た目でダメそうなら捨てる。
しかし、それができれば苦労はしないし、わたしはこんな駄文を書き連ねることもなかっただろう。
そのダメなタイミングがわからないのである。
自分で考えてわからないのであれば他人の力を借りるという手がある。
「タオルを干しているときに、他人に見られたくないと思ったら捨てる」
つまり、自分の中に他人の目線を入れて客観的に判断するのである。
もちろん最終的には判断するのは自分なのだが、想像の他人を利用することでタオルの捨て時を見極めることができる。
友人の家に泊まりに行ってゴワゴワのタオルを出されたらいやでしょう。
つまりそういうことである。
まとめ
タオルの捨て時、替え時を考えてみた。
機械的に捨てる方法と、他人から見てこのタオルはどう見えるのかを客観視して捨てる方法を思いついたが、捨てられない人は前者の機械的に捨てる方法を取った方が確実に捨てることができる。
システマチックに行動することで、感情のゆさぶりを抑えることができるのでいちいち捨て時に悩まなくても済む。
もちろん時期が来れば機械的に捨てることになるので、無駄が出る可能性もある。
しかしそのあたりは柔軟に考えて一か月延長したりすればいいだろう。
柔軟性が過ぎると、結局捨てなくなる可能性もあるけどね。
なんでもほどほど、中庸が一番である。
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