こんにちは友幸です。
メメント・モリは「死を想え」というラテン語の言葉だ。
今回はメメント・モリについて詳しく紹介するよ。
「メメント・モリ」とは?
メメント・モリ(memento mori)は古代ローマで使われた言葉で、「死を想え」「死を忘れるな」「死を記憶せよ」という意味の言葉だ。
古代ローマにおけるメメント・モリの意味
古代ローマでは「メメントモリ」には主に2つの意味があった。
- 気を引き締めるための言葉
- 今を楽しもう
1つ目の意味は、将軍が凱旋のパレードを行ったときに使われたといわれている。
戦いに勝利して浮かれてるときに、将軍の後ろに立つ使用人が「将軍は今は絶好調だが、明日はどうなるかわかりませんよ」という意味を込めて「メメント・モリ」と将軍に言っていたようだ。
人間は好調なときほど、足元をすくわれてピンチを招きやすい。
しかし浮かれているときは、本人はなかなかそのことには気づかないものだ。
それを知っていた将軍は、自分への戒めとして、第三者である使用人にメメント・モリという言葉を使わせて、気を引き締めていたのだろう。
2つ目は「いつ死ぬかわからないから今を精一杯楽しもう」という意味だ。
古代ローマで「メメント・モリ」はこちらの意味で使われることが多かったようだ。
当時、「メメント・モリ」の趣旨は carpe diem(今を楽しめ)ということで、「食べ、飲め、そして陽気になろう。我々は明日死ぬから」というアドバイスであった。ホラティウスの詩には「Nunc est bibendum, nunc pede libero pulsanda tellus.」(今は飲むときだ、今は気ままに踊るときだ)とある。
カルペ・ディエム(carpe diem)は詩人ホラティウスの詩に登場する言葉だ。
直訳すると「その日を掴め」という意味で「今を生きる」と訳されることもある。
言い回しは少し異なるが、古代ローマでメメント・モリはカルペ・ディエムとほぼ同じ意味で使われていたようだ。
キリスト教としての意味
その後、キリスト教の台頭によって「メメントモリ」という言葉はキリスト教でも使われるようになる。
ただしキリスト教の「メメント・モリ」は、古代ローマでもともと使われていたときと意味が変わってくる。
キリスト教の教えでは、死んだ後に霊魂になり、神による審判が行われる。
そして審判の結果、天国に行くか地獄に行くかが決まる。
キリスト教の教えで「メメント・モリ」というときは「死後の世界のことを考えよう」そして「天国に行きたいなら神を信じましょう」という意味合いが強い。
なぜこのようなことになったのかというと、キリスト教の教えでは、楽しみや贅沢などの現世における利益は虚しいものだとされているからだ。
聖書では「飲みかつ食べよう、明日には死ぬのだから」という、もともとの「メメント・モリ」と近い言葉が登場するが、信仰心のない人間が言う言葉として否定的に描かれている。
メメント・モリはもともと「今を生きよう」という意味だったが、キリスト教では180度意味が変わっていて「現世で享楽に溺れるのではなく、宗教の教えに従いなさい」という道徳的な意味合いが強くなっていることがわかる。
メメント・モリを想起させる作品、言葉
モンストの木の闘神「メメント・モリ」
人気のゲームアプリ「モンスト」にも「メメント・モリ」というキャラクターが登場している。
モンストのアニメに敵キャラクターとして登場して、その後ゲーム内にも実装された。
グーグルで「メメントモリ」を検索すると、1番上にウィキペディア、2番にゲームアプリ「モンスト」の攻略サイトがでてくる。
モンストで「メメントモリ」という言葉自体を知った人も多いだろう。
闘神は全部で5人いるが、他の闘神も「カルマ」「アカシャ」「ニルヴァーナ」など仏教に関連した用語が使われている。
このことから、モンストの「メメント・モリ」はキリスト教における「メメント・モリ」を意識したキャラクターデザインになっているようだ。
スティーブ・ジョブズのスピーチ
アップルの創業者であるスティーブ・ジョブズはたくさんの言葉を残したが、その中でも2005年にスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチは有名だ。
彼はこの時のスピーチで3つのことを話した。
そのうち3つ目の話が「死について」だ。
3つ目の話は死についてです。
私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。
それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。
「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。
自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。
なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。
本当に大切なことしか残らない。
自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。我々はみんな最初から裸です。
自分の心に従わない理由はないのです。
アメリカ映画「今を生きる」
「今を生きる」は、 1989年のアメリカ映画だ。
原題は違うが、邦題では「カルペ・ディエム」を訳して「今を生きる」となっている。
厳格な規則に縛られた堅苦しい全寮制の学校に、新しい英語教師が赴任する。
彼は学校の元OBだが、破天荒な性格で「教科書を破り捨てろ」などといって型破りや授業を行う。
次第に生徒たちも彼に影響されていくという話だ。
風変わりな先生の登場で、生徒が次第に変わっていくというGTO、金八先生みたいな映画だ。
神聖かまってちゃん「僕は頑張るよっ」
「メメント・モリ」といえば、ミスチルの歌が有名だけど、個人的に一番メメント・モリを感じる曲は、神聖かまってちゃんの「僕は頑張るよっ」だ。
あーでもないこーでもない 人間はめんどくさい
パーでもないグーでもない 悩んでばかりいます
あーでもないうちにほら 人間はあっさり死ぬ
とんでもない事だけど 人間はいつか死ぬ
人間は色々悩んでいるうちに死んでしまうけど、何もしないで死ぬよりは少しでも歩き出そうというポジティブな歌だ。
歩いたら歩くだけ 死ぬ確率はあがる
歩かなきゃとりあえず 人間はどうせ死ぬ
死ぬことを意識して生きる原動力にする。
そして最後に「僕は頑張るよ」という。
朝いつもの電車にのれば あのいつもの人はいない
次は僕の番なのか
捨てられるように僕ら みんな死ぬよ
あっさり死ぬよ
僕は頑張るよっ
Yeah!
まさにメメント・モリな歌だ。
メメント・モリは「死を考え、よく生きる」ための言葉
わたしたちは普段の生活で自分たちが「必ず」死んでしまうということをほとんど意識しない。
これは人の寿命が、正確にはわからないことが大きく関係しているだろう。
わたしたちは必ず死ぬが「いつ」死ぬかはわからない。
だからいつまでも生きられるような気がしてくる。
実際は明日死ぬかもしれないのに。
死刑宣告を受けた死刑囚が突然詩を書き始めたり、余命を宣告された患者が周囲に感謝の言葉を述べるようになるという話がある。
これは自分の生きられる残り時間がわかり、死を強く意識すると、人間は行動が変わるという例だろう。
わたしたちはいつ死ぬかわからないが「必ず」死ぬ。
「明日死ぬかもしれない」と強く自覚することで、今この時を、以前よりももっと大切に使うことができる。
そしていつもは忙しさに埋もれて考えることができない「人生の残された時間で自分は何をしたいのか」をじっくりと考えるきっかけにもなるだろう。
人生は意外と短い。
メメント・モリは「今が楽しければいい」「快楽に従って欲望のままに生きる」という意味ではない。
それよりも、自分の人生を有意義に使うためにはどうすればいいのかを考えて、行動を変えるきっかけを与えてくれる「ポジティブな言葉」として捉えよう。
まとめ:メメント・モリは地図のようなもの
「メメント・モリ」という言葉の意味について紹介したよ。
メメント・モリ自体は死についての言葉だが、生と死は表裏一体。
死を考えることで、生きることについて考えるきっかけとなる言葉だ。
「死ぬときにどういう人間として覚えられたいか」という問いかけがあるが、それに近いものがある。
「死ぬことで人間は完成する」ともいう。
そう考えるとメメント・モリという言葉は、目標(死)を意識するための補助的な役割、ちょうど目的地を目指すときの地図のような役割を果たしているのだろう。
メメント・モリという言葉を道しるべに自分の生き方を考えてみるといいかもね。