ハンバート友幸の庭

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執着の意味とは?執着しないための具体的な方法

執着の意味とは?執着しないための具体的な方法

こんにちは友幸(@humberttomoyuki)です。

 

人は「物」「お金」「地位」「名誉」「権力」「若さ」など様々なものに執着しやすい生き物だ。

執着すると大抵の場合、いいことはないのだが、それでも「どうしても固執してしまう」ということがあるだろう。

どうして良くないと思っているのに、執着してしまうのだろうか。

 

この記事では「執着」という言葉の意味や、執着しない方法を紹介するよ。

執着の意味

そもそも執着とはどういう意味なのだろうか。

執着の意味について、調べてみた。

辞典に書かれた執着の意味

「執着」という言葉を辞書で引くと「一つのことに心をとらわれて、そこから離れられないこと」「ある物事に強く心がひかれること。心がとらわれて、思いきれないこと」といった説明が書かれている。

ただそこにもう一つ「しゅうじゃく」とも読むと記されていることが多い。

そして「しゅうじゃく」の意味を調べてみると、執着はもともと仏教用語であるらしい。

仏教における執着の意味

仏教用語での執着の意味を調べてみると「事物に固執し、とらわれること」と書かれている。

そして「執「著」と書くこともある。仏教用語というより、一般的な用語であり、現代語の執着(attachment)によく似た意味」ともある。

 

仏教において執着は、煩悩に近い意味という説明もあり、修行の妨げになる苦しみを生み出す原因とされている。

執着については仏教の経典「華厳経(けげんきょう)」に具体的に記されている部分がある。

それでは人々の憂い、悲しみ、苦しみ、もだえはどうして起こるのか。つまりそれは人に執着があるからである。富に執着し、名誉利欲に執着し悦楽に執着し自分自身に執着する。この執着から苦しみ悩みが生まれる。初めから、 いろいろの災いがあり、そのうえ、老いと病と死とを避けることはできないから、悲しみや苦しみがある。

 

英語辞典における執着の意味

辞書を調べてみると英語の「attachment」と訳されていた。

attachmentは愛着などと訳されるどちらかというとポジティブな言葉だ。

執着を和英辞書を調べてみると、執着は一つの単語でははなく「desire and passion 」や「deep attachment」などと訳されている。

執着は意味の幅が広く、英語では1つの言葉で表すのは難しい概念のようだ。

精神医学における執着とは?

精神医学の分野においても執着というものが存在する。

日本の精神科医である下田光造さんが提唱した「執着性格」というものだ。

下田さんは1930年頃に「躁うつ病になりやすい性格」として執着性格という概念を作り上げた。

執着性格の特徴は以下の2つだ。

執着性格の2つの特徴

  • 一度起こった感情が長く持続する
  • 仕事熱心,凝り性,徹底的,正直,きちょうめん,強い正義感,ごまかしやずぼらができない

執着性格は躁うつ病になりやすいというマイナス面だけではなくプラス面もある。

仕事熱心で真面目なので周りから信頼されやすいのだ。

しかしこの性格を持つ人が「長期にわたる心身の持続的過労、業務熱中」などの長期間の過労に直面すると、持ち前の真面目な性格が仇になり、最終的に躁うつ病につながると考えられている。

 

真面目で仕事熱心であり、一つの感情が長く持続するという「執着性格」はよくいわれる日本人気質に当てはまる特徴だ。

日本では自殺者の数が異常に多いが、これは執着性格である人が多く、その人たちが何らかの長期間による過労により精神を圧迫されているためかもしれない。

脳科学からみた執着

感情が動いた時にどのように脳に変化があるのかを調べる技術が発達し、リアルタイムで脳の機能を解析することができるようになった。

その結果、執着が強い人は脳の中でなんらかの「感情コントロールの障害」が起きているのではないかということがわかってきた。

執着が起きる時、同時に何らかの不快で強い感情が現れる

怒りや不安、焦り、嫉妬などの感情だ。

もし負の感情が起こらなければ人間は理性的に考えることができる。

「ここで失った恋人に執着しても意味はない」

「いつまでも物を捨てられずに執着していても仕方がない、これを使うことはないのだから」

などと自分に言い聞かせることができ、執着を断ち切ることができる。

 

しかし執着と共に出現する「手放したら大変なことになる」という恐怖や「どうして自分のものにならないのか」という怒りの感情が、理性を歪ませて、その執着を正しいものだとし一層その対象へのこだわりを強くする。

激しい感情をコントロールできない人たちの研究では、脳の中の一部に何らかの機能不全が起きている可能性があるといわれている。

 

また脳の中には「快」と「不快」の予測をつかさどる部位がある。

うつ病の患者の人は「快」の予測をする部位の活動が低下し、「不快」を予測する部位の活動が活発になることが分かっている。

つまりうつ病の人は常に不快な予測が優勢なので、物事を悲観的に捉えがちになる。

さらに別の脳の研究によると、うつ病の患者の人は「長い目で見て損か得かを考える」長期報酬予測の機能が低下していることも推測されている。

この結果、うつ病の人には「長期展望が持てず、目先の損得にこだわる思考」が生まれている。

 

人並外れて執着する人は「感情コントロール障害」と、うつ病でみられるような「悲観的にしか考えられず目先の事にこだわる傾向」の両方が起きている可能性がある。

こうなってしまうと長期的な損得を考えられなくなり、目先のものに強い感情を向ける。

結果「これが失敗してしまうと何もかもが無駄になる」という思いから偏った考えに陥ってしまう可能性が高い。

執着の種類

物への執着

仏教ではもともと「事物へのとらわれ」を執着と呼んだ。

そこから派生して目に見えない地位や名誉人間関係などにとらわれることも執着と考えられるようになった。

つまり物を捨てられないということは元々の意味である執着に一番近い。

強迫性による執着

アメリカでは片付けられない人捨てられない人が大きな社会問題になり「溜め込み病」と言う独立した病名までが付けられている。

これは不合理な行動を辞めたいと思っても止められない強迫関連障害の一つだ。

そのひとつである強迫的溜め込みが独立した障害となって認められた。

 

強迫的溜め込み症の特徴は以下の3点だ。

  • 物を過剰に集めすぎる
  • 最低限の物の整理ができない
  • 集めた物を捨てられない、捨てるのが苦痛

 

ガイドラインによるとアメリカと欧州での有病率は約2%から6%ということだから50人に1人はこのためこみ症をであると言える。

原因は未だによくわかっていないが心理的なものというよりは、脳の機能的障害の一つではないかという説が有力だ。

強迫的溜め込み症の場合、本人は困っている様子はないが、一緒に住んでいる家族や、周囲の人間が迷惑することが多い。

大人の ADHDの可能性もある

ADHDとは「注意欠如、多動性障害」の略で子供の頃から始まる発達障害だ。

特徴として「不注意」「多動性」「衝動性」の三つがある。

それほど重度でない場合、子供の頃は周りから気づかれないが、大人になって初めて自分がADHDだと気づく「大人のADHD」がかなり多いことが最近わかっている。

ADHD の人は苦手な作業をしたりすると脳がフリーズしてしまいやすい。

そのため途中で仕事を中断してうろうろしたり、別のことを考えてしまって、時間を大きく無駄にしてしまう。

また空間や時間量などを把握することが苦手なのもADHDの特徴だ。

やることを期限ギリギリまで放置して、結局間に合わなかったり、投げ出したりしてしまうことも多い。

 

その結果、部屋の片付けをしないで、どんどんものを溜め込んでしまう。

ADHDの人は、強迫性の溜め込み症とは違い、本人も片付けられないことを情けなく思っていることが多い。

ADHD の場合は、「本人がだらしないのではなく、脳の性質からそのような状態になる」ということをまず理解してもらうというのが大事になる。

世代間の価値観の違い

本が売れないと言われていて久しいが、出せば必ずヒットすると言われているのが片付け本だ。

「断捨離」「片付けの魔法」などベストセラーになった片付け本も多い。

その中で、ここ数年よく見かけるようになった新しいタイプの片づけ本が、「親の家を片付ける」「実家を片付ける」と言った内容の親の家を片付けるものだ。

 

これらの本の中には親が亡くなった後に「家に5年通って片付けた」「トラックで6トンの不要物を捨てた」などのインパクトのある言葉が並んでいる。

どうして親の家にはたくさんのものが溜まってしまうのか。

 

一般的によく言われているのは「世代間の価値観の違い」だ。

戦後の貧しい時期に幼少期を過ごし、その後昭和の高度経済成長を経験した人たちは、上昇志向が強く、物が増えるということは豊かであるということの証明であると考えることが多い。

経済が成長していく中、明日は今日よりも良くなると考えてきた人たちなので物欲が強く色々なものをどんどん買ってしまう傾向にある。

 

それに加えて親世代には「すぐに使わないものでも、捨てるのはもったいない」と言う節約の精神も加わる。

昭和の時代には、穴の開いた洋服をすぐに捨てるのではなく、補修して着る人を「物を大切にする立派な人」と見る傾向が残っていた。

この世代の人は、たとえ着ない服であっても着ないという理由だけで服を捨てるということは考えられない。

 

「欲しいものはどんどん買うが、買ったものはもったいなくて捨てられない」ので、家の中はよくわからないもので一杯になる。

親世代が物へと執着するのは「物がたくさんあった方が豊か」という考えと「捨てないことは良いこと、捨てることは悪である」という二つの価値観が重なった結果だ。

この世代間の考えを改めるのはかなり難しいだろう。

 

また物を溜める理由はそれだけではない。

子供が独立し親と別々に住んでいることから「寂しい」という気持ちが生まれ、物が増えるというケースもあるようだ。

物に囲まれていると寂しさが紛れ、安心することができるのでどんどん物を溜め込んでしまう傾向がある。

この場合、物を増やしても寂しさを紛らわすことはできないことを認識して貰う必要がある。

関係性への執着

「関係性への執着」は、物への執着ではなく、特定の人物との関係に執着することだ。

「もうやめたほうがいい」「こんなことはしてはいけない」とわかっているのにどうしても止めることができない。

一度やめてもすぐにまた元に戻ってしまう。

そうして次第にそれしか考えられなくなるというようなことがある。

精神医学ではこの症状を「依存」という。

 

「依存」はこれまでアルコールや薬物などの「物質」や、ギャンブルやセックスなどの「行為」に対して行われるものだと考えられていた。

しかし最近ではそれ以外の「特定の人との関係」へ依存する人が問題になってきた。

 例えば別れた恋人とやり直したいと考えて復縁を迫るといった場合があてはまる。

 

「依存」といってしまうと、依存する側は「弱い存在」で依存される側は「強い存在」だと思われがちだ。

だが「関係性への依存」の場合、必ずしもそうはならない。

別れた恋人をストーカーする人間は、弱い存在ではないだろう。

精神科医の香山リカさんは、これらの状態を依存ではなく「執着」と呼ぶことを提案している。

与えられる役割に執着する

こういった人たちは「この人が好き」「この人じゃないと絶対にダメ」と特定の人物に執着しているように見えるが、実は相手というよりもその人と築いた「関係性」に執着していることが多い。

例えば「彼氏、彼女」という立場は恋人がいて初めて成立する役割だ。

恋人がいないのに彼氏、彼女とはいえない。

「母親」という立場もそうだ。

娘がいて初めて私は「子育てに忙しい母親なんです」と自分に役割を与えてやることができる。

関係性へ執着する人は、関係性が成立することで初めて自分に与えられている「役割」や「立場」、そこから与えられる「存在理由」に執着している。

とくに対象が「恋人」や「配偶者」の場合は、実は相手をそれほど愛しているわけではないことも少なくないという。

ただその人を失うことによって「自分の役割」や「存在理由」が失なわれることを恐れている。

そのためなんとしてでも今まで通りの関係でいていていなければと必死になる。

そこで必要なのは「彼氏・彼女」という役割を与えてくれる存在だ。

 

どんなにダメな恋人であっても、付き合ってさえいれば自分は「彼氏・彼女」という立場でいることができる。

しかし恋人がいなくなると「ただの20代フリーター」というように、もとの何もない自分に戻ってしまう。

そんなことには耐えられない。

だからなんとしても前の恋人に執着してしまう。

 

次々に恋人を作る人も「恋人のいない自分」に耐えられず、関係性に執着している可能性がある。

関係性の執着は「恋人」以外にも「親子」や「立場、ポジション」「地位、名誉」などでおいて引き起こされる。

 

さらにSNSの普及によって人間関係が可視化されたため、関係性への執着は増幅されより強いものとなっている。

執着しないためには

「離れられない」 「どうしても気になる」 「放っておけない」

このままではいけないと思いながらも、どうしても対象ににこだわってしまい執着してしまうことがある。

これはそう思うと同時に「イライラする」「ソワソワする」「苦しい」「悲しい」「悔しい」「辛い」という負の感情が高まったまま持続し、収まらなくなっているためだ。

 

自分のこだわりやしがみつきにとらわれて、そこから生まれてくるこういった感情が長い間持続すると、次第に攻撃性が表面化していき、ストーカーなどにつながっていく。

 

執着しないためには「独特のこだわり」や負の感情の持続から、自分を解放してあげる必要がある。

「あるがまま」に受け止める

ここで役に立つのが精神科医である森田正馬さんが提唱する精神療法である「森田療法」だ。

彼は学生時代にパニック発作の症状で苦しんでいた。 大学の定期試験が近づいたと時に、欠席しようかとも考えた。

しかし「どうにでもなれ」と開き直った気持ちになって、受験を決意し猛勉強したところ、勉強している間は、不思議なことにパニック発作の症状が全く出なくなったことに気がついた。

このことから後に森田さんは、「不安や苦しみを無理に抑え込もうとせずに、あるがままに受け入れてやるべきことに集中する」ことで症状を回復させることができることに気がついた。

負の感情を否定しない

「落ち込む」「悲しむ」「くよくよする」といった負の感情は悪いこととみなされがちだ。

後ろ向きなことを行っても「もっと前向きになれよ」といって励まされることも多いだろう。

しかし感情を押し殺した状態で、無理にポジティブな態度をとっても執着から解放することはできない。

森田療法では「自然服従」「不安常在」として一旦は不安や憂鬱といった負の感情をそのまま受け入れる。

しかしそれに正面から取り組むことはせずに、まずは「目の前にあるやらなければならないことをやる」ように呼びかける。

森田療法は、次に紹介する認知行動療法に取り入れられているマインドフルネス心理療法のやり方に近い。

執着しないための具体的な方法

「あるがままに」といわれても、具体的にどうすればいいだろうか。

執着を手放すための具体的な方法を紹介する。

 

ここで役に立つのが、「マインドフルネス」だ。

マインドフルネス心理療法は1979年にアメリカの精神医学者ジョン・カバットジンさんによって作られた、ストレスを減らすプログラムだ。

瞑想とヨーガがベースとなった心理療法で、当初は「摂食障害」「不安障害」「うつ病」などを治療するために行われていた。

 

マインドフルネス療法は「認知のとらわれ」からの解放を目指すものだ。

「一瞬一瞬に注意を向ける」「受け入れる」「評価はしない」と言ったセットで感情や知覚をコントロールする。

現在では Google が社員研修プログラムに取り入れるなどして話題になりビジネスマン向けのセミナーやセルフコントロール法としても行われている。

 

余談だが、じつはマインドフルネス心理療法は原始仏教の「ヴィッパサナー瞑想」をそのまま利用したものだ。

しかし、キリスト教圏で仏教色を出すのを嫌ったためか、その起源に仏教を出さないようにしているところがある。

そのため僧侶のアルボムッレ・スマナサーラさんのように「マインドフルネスは、仏教から盗んだ」と苦言を呈する仏教者もいる。

もともと瞑想は「解脱」のために行うものだが、「マインドフルネス」は、あくまで現世的な利益のために都合のよいように行われている。

そういう部分も仏教者には「筋違い」だと思われ、悪い印象を与えているようだ。

呼吸のトレーニング

マインドフルネス療法を進めていくときに基本になるのが「呼吸のトレーニング」だ。

やり方は非常に簡単で、「息を吸い込む、吐く」を強く意識しながら続けるだけだ。

 

ここで大切なのは呼吸を「強く意識する」ことだ。

呼吸に意識を向けるため、呼吸によって起きる体の変化に注意を向けるといい。

例えば「息を吸うとお腹が膨らみ、吐いた時はお腹がへこむ」といった具合だ。

 

呼吸のトレーニング中に別のことを考え始めてしまっても、なるべくすぐに呼吸を強く意識して注意を引き戻す。

これを1日3分行う。

 

これだけでも「心が落ち着き、気分が軽くなる」「つまらないこだわりがなくなる」といった効果が報告されている。

精神科に通う人でもこれを続けることで次のステップに進むことなく症状が軽くなっていくことが多い。

1日3分でできるので手軽にできるのもいい。

解放のトレーニング

呼吸のトレーニングでは自分の呼吸へ意識を集中し「呼吸への気づき」を行った。

呼吸のトレーニングに慣れてきて、一旦別のことを考えそうになってもすぐに呼吸へ意識を呼び戻すことができるようになったら、今度はもう少し意識を解放する「解放のトレーニング」を行おう。

 

解放のトレーニングでは、呼吸を続けていくうちに気が散り始めて、周りが気になったり、記憶の中から何かが蘇ってきてもすぐには呼吸に意識を向けないで、しばらくそのまま「気が散るまま」にしておく。

その時に気が散った対象に気づいてあげることが大切だ。

心に浮かぶものや感じること、今経験していることなど、ひとつひとつになるべく意識を向け気づいてあげる。

そうして自分の中で流れていく色々な感覚や思いに気づきながら、ただ眺めることだけをしていく。

そのうちの1つのことに気持ちが向いてしまい、「あーでもない、こうでもない」と考えそうになるはずだ。

そうなってしまったら、それ以上考えるのはやめて呼吸に意識を集中し、呼吸のトレーニングに戻ろう。

慣れていくと、徐々に「解放のトレーニング」から「呼吸のトレーニング」と交互に行き来できるようになる。

大事なのは何か1つのことにとらわれて、そのことについて評価や判断をしないことだ。

評価や判断をしない

マインドフルネスは、気が散ってしまってもすぐに対処して、意識を別のことに集中させるトレーニングだ。

 

マインドフルネスをやっている時に限らず「気が散ってしまうこと」は日常でよくあることだ。

ただし気が散ってしまったまま、すぐにやるべきこと戻れずに、何かについて考え込んでしまうということは、その対象に執着している可能性が高い。

 

執着とは、「自分にとって必要のないはずの感情や対象にこだわり続けること」だ。

その結果、本来やらなければならないことや、考えなければならないことがないがしろになってしまう。

 

マインドフルネスの目的は「毎日の行動や心の動きからなるべく「評価」や「判断」を消すこと」だといっていもいい。

そうすれば、一つ一つのことに意識をきちんと向けるが、そこに「素晴らしい」「意味がない」「あの人に負けている」といった余計な意味や価値判断をしなくなる。

執着から開放されるので、気が散ってしまってもすぐに自分が集中するべきことに戻っていくことができるようになる。

まとめ

執着の意味や、執着しないための具体的な方法を紹介したよ。

 

執着は「一つのことに心をとらわれて、そこから離れられないこと」だ。

対象にこだわる思いと同時に起こる「負の感情」が持続した結果、執着となり、悪い方向、偏った方向へ考えが進んでしまうことになる。

仏教でもいわれているように、執着してしまうとろくなことはない。

執着しないで、生きていきたいものである。