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ハンバート友幸の庭

貯金1000万円でセミリタイア中のミニマリストワナビー。月5万4000円で節約生活中。

ミニマリスト生活とマキシマリストと社会階級と食事の話

ミニマリスト

貴族

こんにちは友幸です。

 

わたしの周りには結構フリーランスや個人経営の人が多い。

わたしの知り合いの1人に個人で店を経営している人がいる。

その人にたまに食事に誘われる。

 

その人はコスパ重視の節約派ミニマリスとを目指しているわたしとは正反対のお金の消費の激しいマキシマリストだ。

オシャレなインテリアを集めたオシャレ空間を構築して、わたしには、なんだかよくわからないが恐らく高級そうな食材を使った料理を作る。

 

この人に会うとわたしはいつも社会階級の話を思い出す。

社会階級の区分け

日本では今ではあまり意識されないが、ヨーロッパなどの貴族文化が残っている地域には社会階級の区別がまだまだ存在する。

ざっくり区分けするとこんな感じ。

アッパークラス(上流階級)

代々の資産家の家系や貴族。
セレブなどがこのクラスになる。

ミドルクラス(中流階級)

一定水準の教育を受けた人たちで構成される。
医者や弁護士、大企業の社員、経営者などが該当する。

ロークラス(下流階級)

ブルーカラーなどの肉体労働者、今でいうと非正規の派遣社員、フリーターなどが該当する。


もっと細かく、アッパー・ミドルやミドル・ミドルなどの細かい区切りはあるが今回の話に関係ないので割愛する。

日本の社会階級

日本では以前は一億総中流と言われていたことは記憶に新しい。

現在は日本でも貧困層が増えているといわれている。

一億総中流神話は崩れているといわれているが、日本はまだまだ豊かな国だ。

日本人が強く階級を意識することはほとんどない。

 

そもそも日本は第二次世界大戦に敗戦後に一旦階級がリセットされた。

その後焼け野原の日本で成り上がりで金持ちになった人が多い。

ロックミュージシャンの矢沢の永ちゃんとか、中卒の首相田中角栄とかね。

 

加えて日本人たちのロールモデルとなった国アメリカも、そもそも貴族社会であるイギリスの植民地から独立してできた国だ。

アメリカはアメリカンドリームを達成した成り上がりが多い若い国でもある。

しかし歴史の古い国では社会階級は根強く世の中に残っている。

例えばヨーロッパ圏のイギリスは英語の発音が階級で違う。

映画「マイフェアレディ」は、下町英語を話す女性を言語学者が立派な貴族の女性に仕立てるために、階級の発音の違いを矯正していく話だよね。

他にも洋画は日本人である私たちが見てもわかりにくいが、階級によって英語の発音言い回しを変えたりしていることがよくある。

憧れのアッパークラス

アッパークラスの金持ちたちは、一般市民の憧れの対象だ。
私たちはセレブの暮らしを見て、彼らの食生活やファッション、インテリアの真似をして彼らの生活に近づこうと努力する。

中流階級であるミドルクラスの人たちはアッパークラスの暮らしを目標とする。
彼らは教養もあり、文化的にも高い知識を備えていることが多い。
そこで努力してアッパークラスの趣味である芸術や哲学を学び、アッパークラスの生活を真似しようとする。

しかし、アッパークラスから見れば、ミドルクラスの人たちは「自分たちに憧れて自分たちの文化を模倣しようとしているだけのつまらない階級、自分たちの劣化コピー」と判断される。

そのためアッパークラスの人たちは、ミドルクラスの文化には興味を示さない。

自分たちの劣化コピーを見ても仕方がないからね。

そして、ロークラスのアンダーグラウンド文化や、サブカルチャーのジャンルに興味を示すのだ。

アッパークラスの趣味の一つであるアートの世界で、バスキアや村上隆が評価されるのはそういった文脈が前提にあるのだ。

バスキアは移民の息子として生まれ、スラム街の壁にスプレーペインティングをはじめたアンダーグラウンドな芸術家。

27歳でヘロインのオーバードーズ(過剰摂取)で死んでいる。

村上隆はアニメやオタク文化を使って作品を発表している日本を代表する芸術家である。

アッパークラスは退屈なミドルクラスの相手はせず、こういったロークラスの文化から面白そうな人間のパトロンとなり資金援助をする。

それが彼らの名誉にもつながる。

ノブリスオブリージュの精神にも合致するのだ。

現代のミドルクラス

そして話は最初に戻る。

何が言いたいかというと、その人は社会階級でいうと典型的なミドルクラスの人間だということだ。

最初にも述べた通り、品のいいインテリアに囲まれて、高級であろう食材を使って料理を食べている。
小さなお店を経営していて、ある程度お金もあるだろう。
その人は「一流といわれているモノ」を消費したいという欲求が強い。
傍から見ていてそれがよくわかる。

 

わたしはたまに食事に誘われるが、いただく食事は確かに美味しい。
わたしが普段食べないような、いい食材を使っているのは明らかだ。

でも、なんだかつまらないのだ。

ミドルクラスどころかロークラスの非正規のわたしが言うのもなんだが、生活が「テンプレ的なおしゃれな感じ」をなぞったようにしか見えないのだ。
なんとなくだが、バブル的な価値観をもったまま生きてきた感じがプンプンする。

食事をいただいている身で偉そうなことをいっているので申し訳ないのは百も承知だ。

おまけにわたしはどっちかというとサブカル寄りの人間なので「アッパーに憧れる人を面白くないと感じてしまう」というエクスキューズをつけることもできる。

しかしやっぱり「何だかなー」と感じてしまうのだ。

面白くない理由

よくよく考えてみると、この「何だかなー」という気持ちは、わたしが食事に呼ばれる理由にある。

恐らく私が食事に呼ばれる理由の多くは、その人の自尊心を満足させるためだ。

その人の成功者としての生活を垣間見て、賞賛する観客としての役割を暗黙のうちにわたしは求められている。

当然わたしも、フリーランチをいただいているのだからある程度お礼をいうのが義務だと考えて、適当に自尊心を満足させられそうな言葉を投げかけはする。

わたしの食事の支払いは、その人の現状を肯定し自尊心を満足させること。

そして他の人とは一味違うと思わせることにある。

しかし、このブログを読んでいる人はご存知の通り、わたしは節約派ミニマリストとして生活している。

その人のマキシマリスト生活を羨ましいとは思わない。

これからも羨ましいと思うことはないだろう。

 

この価値観の断絶がこの「なんだかなー」を生み出している。

ニーズがあってないというべきか。

ある程度、素直にその人の生活を憧れることのできる人だと問題ないと思う。

 

まぁ、なんとなく感じる「自慢しいな感じ」は誰が体験しても不愉快だろうけど。

まとめ

わたしがその人に本音の意見をもしいうなら「そんなどうでもいいものを買ったり食ったりしているくらいなら、かわりに薄給で長時間働かせている従業員の給料を上げてあげて」といったところだろう。

 

見る限り完全ブラックだからね。

 

文章が長くなったが要約すると、わたしは「この人の価値観はあまり好きではないし、これからも好きではないだろう」ってこと。

「社会階級とか関係ないじゃん。早くそれ言えよ」って突っ込みが聞こえてきそうな要約である。

しかし要約では伝わらない、文章をつづっていくことでしか見えない領域がある。
それを皆さんに感じてもらえれば幸いである。