ハンバート友幸の庭

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「海辺のカフカ」村上春樹著 感想あらすじなど

こんにちは友幸(@humberttomoyuki)です。

 

村上春樹著「海辺のカフカ」を最近読んだので紹介するよ。

え、今更だって?

いいじゃない、面白かったんだから。

海辺のカフカとは

「海辺のカフカ」は村上春樹の10作目の長編小説。

以前紹介した「スプートニクの恋人」の次に書かれた小説だよ。

「スプートニクの恋人」村上春樹 女性同士の恋愛を描いた「ぼく」物語 - ハンバート友幸の庭

 

上下巻で1000ページくらいの小説。

「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」と同じように、2つの物語が並行して進んでいき、結末に向かって二つの物語が結びついていくようになっている。

 

物語の主人公は15歳の少年、田村カフカ。

過去の村上作品は20代後半から30代前半の主人公が多かったが、「海辺のカフカ」の主人公は少年になっている。

 

「海辺のカフカ」を発売後、刊行された「少年カフカ」のインタビューによれば、この設定は早い段階から決まっていたようである。

とにかく15歳の少年を中心に据えて話を動かしてみようと。そうすればいろんなことがうまく行きそうに思えたんです。そのことは書き始める一年前に決めていて、そのアイデアを頭の中にずっと寝かせていた。

僕の小説にはこれまで20代後半から30代前半くらいの主人公というか、語り手が多かったと思うんだけど、今回15歳にすることによって、小説的な視点をいろんな方向にシフトできる位置をうまく見つけれたなという気がしたんです。

著者は、語り手を、自分とはある程度距離のある年齢に設定することで、小説として新しい視点を獲得しようとしていたみたい。

小説を書くという作業には、自分の中にある別の人格を探す旅みたいなところがあるんです。だからあまり自分に近いものに視点を設定しちゃうと、現在の自分と、探し求めるべき別の自分が混濁してしまう恐れがある。距離感みたいなのはかなり大事なんです。

海辺のカフカのあらすじ

「君はこれから世界でいちばんタフな15歳の少年になる」――15歳の誕生日がやってきたとき、僕は家を出て遠くの知らない街に行き、小さな図書館の片隅で暮らすようになった。家を出るときに父の書斎から持ちだしたのは、現金だけじゃない。古いライター、折り畳み式のナイフ、ポケット・ライト、濃いスカイブルーのレヴォのサングラス。小さいころの姉と僕が二人並んでうつった写真……。

前述したとおり、主人公は15歳の少年「田村カフカ」

「田村カフカ」はキラキラネームとかではなくて、彼が家出をする時に自分でつけた名前。

 

彼は、幼いころに母親が姉を連れて出て行ってしまったことで、自分が母親に捨てられてしまったと考えている。

彼は家にとどまり続けると自分が「損なわれていく」と感じ、父親の現金や使えそうな道具を持ち出し、「世界一タフな15歳」になるために、東京の野方の家から家出する。

 

特に行く当てもないカフカ少年は、とにかくどこか遠くへ行こうとして、四国への高速バスに乗り、四国に向かう。

 

それと並行して、もう一つの物語が展開される。

もう一人の主人公は「ナカタさん」

 

彼は知的障害を抱える老人。

第二次世界大戦中に、山で意識を失い、目覚めた時には記憶を失ってしまい、考える能力を失ってしまった。

 

そのかわり、ナカタさんは猫と会話できる能力を獲得している。

ナカタさんは知事さんから「ホジョ」をもらって生活しているためお金には困っていないが、猫と会話できる力を活かして猫探しをやっている。

 

そして、猫を探すうちに「猫殺し」のジョニーウォーカーと出会うことになる。

この出会いがナカタさんの平穏な運命を変えることになる。

 

田村カフカ少年は奇数章、ナカタさんの物語は偶数章で展開する。

また、カフカ少年の章は一人称、ときどき2人称、ナカタさんの章は3人称で物語が語られるよ。

あちら側の世界

海辺のカフカには、「あちら側の世界」が登場する。

 

これは「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の「世界の終わり」と同じ世界だ。

 

「スプートニクの恋人」でも物語の中心人物であるすみれが「あちら側の世界」に行ってしまった(しかし、スプートニクの恋人ではあちら側の世界の様子は描かれてはいない)。

村上春樹の作品には、このように現実とは違う異世界が繰り返し登場している。

 

「海辺のカフカ」は世界観や構成が「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」と似ている。

もともと、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の続編として描かれる予定だったようだ。

もともとは『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の続編みたいなものを書こうと考えていたんです。小説の最後の方で森に入っていった人々のその後のことが、僕自身気になっていたから、そういうことについて書いてみたいという気持ちはあった。でも具体的に考えれば考えるほど、そんなことは不可能なんだとだんだん思えてきた。-略ー

それで全然違う小説を書こうと思ったんだけど、やっぱり森のイメージだけは描いてみたかった。

「海辺のカフカ」は、あちら側とこちら側の世界の関係性を描いた作品でもある。

海辺のカフカと神話

カフカ少年は父親に呪いをかけられる。

「お前は、父親を殺し、母と姉と交わるだろう」という呪いだ。

これは、自分の父親を殺し自分の母を妻に娶った、ギリシャ悲劇「オイディプス王」の呪いと同じもの。

 

他にも、未来を予言することができるが、誰もそれを信じない呪いをかけられた「カッサンドラ」の話がでてくるが、これは知的障害者であるナカタさんのことを指しているようでもある。

 

他にも源氏物語の「生霊」や雨月物語の「霊」の話などさまざまな神話、古典からの引用が見られる。

「あちら側の世界」から戻る時は、絶対に振り向いてはいけないといった、神話のタブーなども登場するよ。

まとめ

「海辺のカフカ」は見る人によって見方が変わる小説だ。

「カフカ少年の成長譚」というだけには収まらない。

言葉で確定しないことが多い分、可能性の余地が残り、読む人の年齢、属性、気分、タイミング、その人が何に着目するかで「何の物語」なのかは変わってくる。

 

著者はインタビューでこう語っている。

僕が小説を書くときに自分でいちばん強く意識することは、「何度読んでもそのたびに違う読み方のできる小説を書きたい」ということです。

「百年残る不朽の名作を書きたい」とか「空前のベストセラーを書いてやろう」とか思っても、なかなか実際にはそううまくはいかないけど(いきませんよね)、「何度読んでもそのたびに違う読み方のできる小説を書きたい」というのは、努力さえすれば決してできないことではありません。 

 「海辺のカフカ」はそんな小説。